轢逃

好きだった人がとても擁護できない犯罪を犯した。まあ一方的に好きだっただけで、向こうはこっちのことを知らないし、こっちも向こうのことなんてほんの少ししか知らないからショックで落ち込むほどではないのだが、何でそんなことやってしまったのかな、と残念な気持ちでいっぱいである。

悪いことはバレなければやってもいいのか?

私はあえてやってもいいと言うが、条件がつく。その悪いことが決して人に迷惑をかけない、人を傷つけないこと。直接的間接的にかかわらずである。

例えば飲酒運転。お酒を飲んで運転中事故を起こさなければ、誰にも迷惑はかけないし、誰も傷つけない。だからといってこれがセーフかと言えばそうではなく、そこには事故を起こすかもしれないという可能性が残されている。この可能性が完全にゼロであるのなら飲酒運転は私の中ではセーフだ。しかしそこにわずかながらも事故の可能性があるのならアウトだ。その基準で物事を行うと自らのルールが出来る。それはもちろん定期的に更新すべきものだが、私はできる限りそういうふうに生きていきたい。

好きだった人が起こしてしまった犯罪は消えはしないけれど、しでかした罪の重さを理解しているのは誰よりも本人だと思うので、私は、もしその人がまた表舞台に立つことがあるのなら、変わらず応援し続けようと思う。いちファンとして。