罪悪

罪を憎んで人を憎まずという言葉があるが、頭ではわかっていてもこれがなかなか難しい。結局罪を犯したのはその人なのだから、その人の人間性により罪は引き起こされたのだから、その人自身を責めないことなんて、表面上は別として、心の底ではどうしても責めてしまうのだ。そしてその罪が引き金となり、その人との距離も段々と広がり、やがて疎遠になってしまうのだ。

これは仕方ないのかなと思っていた。

しかしごく最近、罪を憎んで人を憎まず、これが心の底から出来るようになった。もちろんケースバイケースで、その時だけかもしれないが、今回のこの一件で、言葉の本質を心から理解することが出来た。

私にとってはその罪は大きい。同じ人によって累積されてきた罪に対しての怒りは吹きこぼれそうになっていた。そして今日一言言わせてもらった。もちろん柔らかくだ。人に強く言える人間ではない。

ただ、私はその人に対しての怒りは不思議なことになかった。確かに罪を犯したのはその人で、性格的な問題だ。でもその人はその人で罪の実感は持っている。

だから、私がさらにその人を責めるのは違うような気がするのだ。これで、その人が罪の意識が無いというのであれば話は別だ。罪も人も責めなければならない。

自ら犯した罪は自らが一番よくわかっているはずだ。

罪の償い方もわかるはず。

一生背中に背負わなければならない罪を犯した者は自らで自分を苦しめることもあるだろう。

そういう人を憎むことは出来ない。

多分私も、底つきで大変な罪を犯したので、だからこそこの心境にたどり着いたのかもしれない。

罪を憎んで人を憎まず、だ。