加齢
月曜日、週の始まり、休み明けである。
朝、車を走らせていると、水筒を忘れたことに気付く。取りに帰るほどの大した忘れ物ではない。それに気付いたのは道中半分以上過ぎてからだ。飲み物は自販機で買えば良い。百数十円のマイナスは今の私にはなんてこと無い出費だ。
そして着いてから始まる準備をしていると、あれ?筆箱がない。カバンの隅々を探しても無いものは無い。
筆箱を忘れてしまった。
水筒と違って筆箱はちょっと困った忘れ物だ。
心のノートに書き留めておくほど頭は良くないのだ。
さあ、どうするか?
近くのコンビニに買いに行く、これを考えたが、時間的に間に合うかどうかわからない。
だったら?
隣の人にペン一本借りる、これが最善策だ。
幸い隣の人は良い人だ。
しかしここで思い出す。
車の中にボールペンが一本あった。
私は急いで車に戻り、一本のペンを取ってくる。
これが今日の生命線。
おかげで誰に頼ることなく一日を乗り切ることが出来た。
しかし、である。
いくら週の始まりと言えど、忘れ物を二つもするとは何事ぞ。
本来私は忘れ物はしない人間なのだ。
認めたくないけれど、歳のせいにはしたくないけれど、注意力が衰えてきているのかもしれない。
人は誰しも歳をとる。
色んなことの衰えは親を見ていてもわかる。
それは仕方のないことだ。
それを補うためには注意力に注意力を重ねるしか方法はない。
今朝の私の行動を見ても、ややだらけていた気がする。改善すべき点は間違いなくある。
歳をとったからこそ、今までと同じ行動はダメだと肝に銘じて、とりあえずは明日は同じ過ちをしないように、また、過ちを犯したときリカバリー出来るような体制を整えて、以後過ごしていきたいと思う。
若さでカバーできる年齢はとっくに過ぎているのだ。